2024年3月29日(金) 本日の営業時間 12:00 - 19:00 【展示室A&B】 光宗薫個展「むかしむかし」

'12/5/14 ~ 5/26   小山哲生+朝倉景龍+KIZIMECCA展覧会「VITAMIN-V」

もしもあしたが世界の終わりでも、
ぼくはリンゴの種をまくだろう。

その事件は1969年5月、銀座のある大ホールで
起こった。
ステージ上に現れた長髪のヒッピー風の若者が、バケツの中のリンゴの 上にいきなり脱糞し、 客席に向けてそのリンゴを投げつけたの だった。
阿鼻叫喚、異臭漂うこのハプニングを起こした男こそ、若き日の小山哲生である。
彼はアートのなかにビタミンを発見、自分の表現行為を「ビタミン・ アート」と名付けた。

このスキャンダラスな遺伝子を刻んだブラックスターの出現を、今日こそ待望されている時はない。
突然変異のように憑依し伝播する、人類を挑発するアートの強烈な磁場。

この衝動と精神を、「Vitamin-V」と名付けよう

小松崎茂原画展「宇宙船地球号」

小山哲生

長野県に生まれる
60年代アートのなかにビタミンを発見、自分の表現行為を「ビタミン・アート」と名付ける。儀式、ハプニングを通して、テレビ、雑誌にビタミン・アートを紹介する。新宿、銀座の街頭でデーティング・ショー「太陽曼荼羅」シリーズで個展。銀座東芝ホールで牛と蛇と人の共演でビタミン・アートリサイタルを開く。
70年代インド放浪。「花とビートルズとお釈迦様」のテーマで個展。人形の制作を始める。「人・人・人形」のテーマで個展。
80年代インド放浪。風景画を描き始める。ブロードウェイ新人賞でグランプリを取る。個展「神話深層の飛行」にて銀座 ギャラリーラランヌの壁面を白い夢でいっぱいにする。
90年代銀座 三真堂ギャラリーで立体拡大のオブジェを発表。公募展にて東京都知事賞、内閣総理大臣賞受賞。
2005年 渋谷マリアの心臓「この世でいちばん真っ赤なりんご」のタイトルで個展。
2006年 人人展(東京都美術館)小さな人人展(羽黒洞木村東介)地獄太夫展(マリアの心臓/人形屋佐吉)幽霊展(マリアの心臓/人形屋佐吉)
2007年 少女恋の美学(マリアの心臓/人形屋佐吉)人人展(東京都美術館)受胎告知展(マリアの心臓/人形屋佐吉)
2008年 囚われし少女の嘆き・展(マリアの心臓/人形屋佐吉)銀座 ヴァニラ画廊「耽醜の美」のタイトルで個展。IFAA(国際幻想芸術協会)「幻想芸術展」京都(同時代ギャラリー)東京(世田谷美術館区民ギャラリー)幻獣展(ロイヤルサロンギンザ)白昼の大見世物展“サディスティックサーカス・見世物アートの現在”(ヴァニラ画廊)
2009年IFAA(国際幻想芸術協会)「幻想芸術展」東京(ギャラリー やさしい予感)幻獣展(ロイヤルサロンギンザ)IFAAミニチュアール展(ギャラリーベルンアート 大阪)ヴァニラコレクション(ヴァニラ画廊)この指とまれvol.2 ~地球と子ども達の愛ある未来に~(NHKみんなの広場ふれあいホールギャラリー)
2010年 人人展(東京都美術館)小さな人人展(羽黒洞木村東介)ベラドンナ展(神楽坂DIE PRATZE)IFAA(国際幻想芸術協会)「幻想芸術展」東京(ギャラリー やさしい予感)
(2010年) 9月1日 進行性胃癌により、さいたま市内の病院にて逝去 享年 67歳

朝倉景龍 プロフィール

1986年、鹿児島県生まれ。
鹿児島県立松陽高校中退後、2002年より制作を始める。
個展
2006年「貉」
2007年「二枚舌」
2008年「挽肉」
2009年「注文の多い料理店にて」
2010年「絵画アイドル!ウルトラふぁんとムー☆」
2011年「キメリカル胎動」
ヴァニラ画廊にて

キジメッカ

略歴
1967年東京生まれ
時折絵を描いている。
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大抵の場合、救いは無い。
夢のような話は、元々無い。
成功も失敗も大袈裟で、驕る奴、自殺する奴、どちらもクズです。
空気を読める奴は便利、でもつまらない。
ブスにはブス、バカにはバカと言おう。
自慢話を聞けない奴は、自慢話をする奴と同レベル。
凡人を認めない大量の凡人。
努力は微力。
あぁヘラヘラしていたい。 そんな絵。