敗戦復員後すぐに絵筆を握り、人間の性をがむしゃらに描き続けてた沖渉二。
広く著名作家と親交を結ぶ傍ら、漫画雑誌をはじめ風俗挿絵界をリードしてきた。
90歳になった今も元気に制作に意欲的である。
画業68周年を記念し沖渉二原画展を開催します。
沖渉二の画業を回顧しながら、戦後SM風俗挿絵の歴史を振り返ります。
沖渉二(おきしょうじ)
1922年(大正11年)4月16日、兵庫県住吉生まれ、大阪育ち。
中学を4年で中退後、絵の道を志して上京。翌年東京美術学校(現・東京藝術大学)油絵科に入学。
大学修了と同時に学徒出陣、陸軍本土防衛隊所属。本土決戦に備え配属された宮崎の海岸で終戦を迎える。
復員後しばらくは、進駐軍の美術装飾係として似顔絵担当となる。アルバイトに梅田の洋画絵看板も手がける。
大阪の夕刊紙「国際新聞」の小説挿絵担当となり人気連載となる一方で、糊口を凌ぐためにカストリ雑誌に多くの挿絵を描く。
昭和30年に大阪の日本文華社『千一夜』から東京の丸ビルの一室に移っていた『讀物読本』の岡勇編集長を頼り再上京し、あまとりあ社(久保書店)の『裏窓』を紹介され須磨利之の知遇を得る。
仕事に恵まれず貧乏ではあったが、この頃に結婚し新宿区中井に所帯を持つ。
その後、挿絵画家として『裏窓 』『風俗奇譚』を皮切りに、須磨から紹介された団鬼六と交流を結び、鬼プロ、サン出版、双葉社、二見書房、三和出版、司書房、マイウェイ出版などいくつもの雑誌で活躍し、昭和を代表するSM風俗絵師となる。
また90年代以降は単行本や画集などアンソロジー集も多く出版された。
大阪時代は桜井五郎、SM雑誌は『裏窓』時代から沖渉二(沖渉司)、劇画家としては帯刀惇(たてわきじゅん)、「東スポ」連載には美影栄(みかげさかえ)とペンネームを使い分けた。
今年は沖渉二の生誕90周年、画業68周年の記念すべき年となる。