入場料500円
※18歳未満の方はご入場頂けません。
(同時開催の兵頭喜貴展もご覧いただけます。)
2011年に開催したぴんから体操個展、氏の初期の作品から新作まで膨大な量の作品群を展示し、その物凄い熱量を放つ作品は大変話題になりました。伝説の展覧会から2年。ぴんから体操の新作展を開催いたします。展覧会後も精力的に描き続けた新作を含め、観客の心を鷲掴みにした旧作も再び!作品が放つ凄まじいエネルギーを是非ご堪能下さい。
ぴんから体操プロフィール
太平洋に面した中部地方の小さな町に、ぴんから体操は1967年に誕生した。今年47歳になる彼は、いまも生まれ育った町に暮らしている。
中学卒業後に工員として働きながら、ぴんから体操が投稿を始めたのは19歳ごろのこと。最初は『ロリコンクラブ』や『オトメクラブ』、『お尻倶楽部』が投稿先だったという。ちなみに「ぴんから体操」というペンネームは、ぴんから兄弟と、大好きな新体操の組み合わせ、だそうだ。
画家ではヒエロニムス・ボスが好みというぴんから体操は、多いときには月産30点ほどもの作品を投稿する生活を、もう25年以上続けていまだ飽くことがない。仕事を辞めた現在では、投稿作品制作と「オブリビオン」などのゲームにハマる日々を過ごしているという。
個展後も精力的に制作を続け、大判の作品にも取り組んでいる。
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妄想芸術劇場02
『ニャン2』の投稿イラスト・ページを初めて見たのがいつごろなのか、記憶は定かでないが、ひとつの作品がほとんどの場合、名刺にも満たない小さなサイズで10数点から20点以上もびっしり並べられた誌面を見たときの、異様な印象はよく覚えている。たとえば夕刊紙の挿絵や、エロ漫画誌を飾るプロのイラストレーターとはまったく異なる、荒い、稚拙な、しかし恐るべきオブセッションとエネルギーにあふれた画面。それは名もない表現者たちによるアウトサイダー・アートであり、苦しいほどの妄想に苛まれる悪夢のパノラマだった。
写真業界ではプロのほうがアマチュアより上とされているのだし、写真雑誌では作家の作品を載せるほうが、投稿作品より上だとされている。シロウトの投稿による、それもエロ写真誌という、業界的にはもっとも底辺に位置する(と認識されている)露出投稿誌で、いちばん後ろのほうにちょっとだけページをさいてもらっている投稿イラストは、いわば三重苦というか、カースト外に位置するような存在だ。
写真ならいくらでも焼き増しすればいいし、デジカメの時代となった現在ではデータを送ればそれで済む。でもイラストは、そうはいかない。時間をかけて、一枚ずつ”オリジナル”を描かなくてはならないのだが、この種の雑誌は投稿作品を返却しない。つまりせっかく描いた作品が、編集部に送ったまま失われるということである。
しかも投稿者のなかには作品の裏面に、ときにはびっしりと長文の解説というか物語を書き綴るものがいるのだが、投稿ページでは採用されたとしてもイラストが掲載されるだけで、文章まで載ることは基本的にあり得ない。そういうことを全部わかっていて、それでも創刊された1990年ごろから現在に至るまで、20年以上も作品を送り続ける投稿者がたくさんいるというのは、いったいどういうことだろう。
自分の作品が掲載されれば、掲載料が微々たるものであっても、それはうれしいだろうが(しかし掲載の喜びをだれと分かちあえるのか)、失われることがあらかじめ約束されていながら、作品を描きつづけ、送りつづけ、そして失いつづけること。僕らが考えるプロフェッショナルなアーティストとは180度異なる創作の世界に生きる表現者が、それもメディアの最底辺にこれだけ存在していること。それをいままでほとんどだれも認識せず、もちろん現代美術界からも、アウトサイダー・アート業界からも完全に無視され、投稿写真家たちからさえ「自分たちより変態なやつら」と蔑視されながら、いまも生きつづけ、描きつづけていること。
そのような投稿イラスト界にあって、『ぴんから体操』は1992年から幾度も作風を変えつつ投稿を続け、現在もハイペースで作品を量産する、きわだって伝説的な存在である。
投稿生活25年となった2012年には、僕も手伝わせてもらって『妄想芸術劇場・ぴんから体操』を文庫版作品集&電子書籍として刊行(BCCKS刊)、ヴァニラ画廊で個展も開催されている。
ぴんから体操がニャン2に初登場するのは1992年1月。色鉛筆の繊細な筆づかいを特徴とする現在の画風とはずいぶん異なり、猫耳に大きな瞳の少女たちを主人公にした漫画ふうの作品だった。
94、95年と投稿が一時途絶えるが、96年になって復活。しかしその作風は一変していた。90年代初期の漫画タッチは影をひそめ、黒ペンによる点と線だけで画面が構成された、それはダークなグロテスク・リアリズムであった。漫画家・東陽片岡を想起させる背景の緻密な描線と、点描による人物表現から生まれる異常な緊張感。突然の作風転換の裏に、いったいなにがあったのだろうか。
おそらくはこの時期、ぴんから氏はニャン2だけでなく、『投稿写真』誌にもイラストを定期的に投稿していたらしく、そのクオリティに驚愕したリリー・フランキーさんが渋谷に小さな会場を借り、『投稿写真』から借り出した作品の展覧会を開催している(『美女と野球』にその顛末が載っているので、興味のある方はぜひご一読いただきたい)。
2001年、ぴんから体操氏の作品に色が戻ってくる。ごく短期間、当時黄金期を迎えていた「モーニング娘。」をモチーフにした、淡いタッチのポートレートがあらわれたのに続いて(しかしその背景には、すでに次の展開への不気味な予兆が見てとれる)、2001年から02年にかけてのある日、予想を超えた新しい画風の作品が、いきなり送りつけられるようになったのだった。
「ぬるぴょん」と本人が名づけた、それは形容しがたいぶよぶよとした不定形のかたまりだった。それまで古典的な写実主義にいたピカソが、『アヴィニョンの娘』で突如としてキュービズムに突入したように、あまりにも唐突な画風の転換であり、裏面のサインがなければ別人としか考えられない、劇的な展開であった。時代的には2、3年に過ぎないのだが、2001年から’02年にかけて、孤高のアウトサイダー・アーティストの脳内に、どんな嵐が吹き荒れたのだろう。
そうして2003年の短い休止期を経て、ニャン2編集部にぴんから体操からの封筒が、ふたたび届くようになる。しかしその中に入っていたものは、またもやがらりと作風を変えた、まったく新しいタッチの膨大な作品群だった。
「うんこ少女期」とも言うべきその新作群で突然、ぴんから体操はふたたび具象に立ち戻る。色鉛筆を使った、淡いタッチの画面。その四角い世界のなかで、女学生やOLや女子アナや、さまざまに可憐で美しい、しかし垂れそうなほどの巨乳の女たちが、黄土色の糞便をブビブビと盛大にまき散らす。その糞便を下着として身につけたりもする。
「ぬるぴょん」の抽象世界から、このヒトコマ漫画のようなイラストレーションへの転換は、いったいどうしたことだろうか。
2004年から2005年にかけて集中的に「うんこ少女」シリーズが送りつけられたあと、ぴんから体操は長い休眠期に入るのだが、数年前からまた投稿が再開され、2012年の個展からは投稿だけでなく、展示用として大判の作品が、直接画廊に届くようになった。
最初期のフラットな漫画ふうから始まって、点描、ぬるぴょん、スカトロまで、過去の画風の変遷をもういちどリミックスしたかのような新たな作品群は、ぴんから体操という円熟したアーティストの出現を告げている。あいかわらず画面はカラフルで、おどろおどろしく隠微だが、しかし画面構成から彩色まで技術的にはかなり洗練度を増して、創作に向き合うこころの充実をあらわしているようだ。
妄想/オブセッションがあらゆる創作の根源にあるとすれば、妄想に突き動かされて作品を描き続け、失い続ける投稿イラスト職人たちは、投稿を重ねるごとに表現が露骨になるか、あるいは発散としてのワンパターンに陥るかのどちらかであるなかで、ぴんから体操のように画風を洗練させつつ、妄想と表現のバランスを見事にキープし続ける例は他にほとんどない。
「好きなエロ・イラストを描いては送ってるだけで満足」という世界にあって、これだけの集中力と持続力と、新たな表現に挑戦するエネルギーにあふれ、しかも「アーティストとして成功する」というような野心とはまったく無縁の場所にいること。雑誌や画廊との連絡もいまだ郵便のみに限られ、Eメールどころか、担当者も彼の声すら聞いたことがないという匿名性にこだわりながら、これだけ多作なペースをだれにも依頼され、命じられることのないまま保ち続けてすでに四半世紀を超えること。
ときに正視を憚るほどのグロテスクでビザールな画面の、裏面にひそむ純真。そのギャップの痛々しさが、なによりも胸を打つ。(都築響一)