2024年12月19日(木) 本日の営業時間 12:00 - 19:00 【展示室A&B】 D is for Decadence Maki Kusumoto 40th anniversary 1984-2024

近藤智美展「媚び術研究」特別インタビュー

2017年1月23日 〜 2月4日に近藤智美展「媚び術研究」を開催いたします。
独学で製作し続けてきた近藤智美の作品は、時に軽やかなユーモアに溢れながら、時に挑発的に鋭く、現代社会を切り取り俯瞰します。個展中には会田誠さんをゲストに迎えてのトークイベント(予約制)もあり、見どころ盛りだくさん。
個展に向けて作品制作の真っただ中の近藤さんに、製作と今回の展覧会について伺いました。

人に恐れ、人に媚ぶるは、人の与ふる恥にあらず(徒然草)
媚びる…相手の歓心を買うために、なまめかしい態度をする。 (広辞苑)

ヴァニラ画廊(以下、V) 近藤さんの作品は、作品ごとにタッチやテイストが変わり、平面作品、立体作品あわせて、とても技術力がありますが、どこかで美術を習ったりしていたのでしょうか。

近藤智美(以下、K) 小学校の時から絵が上手い人って必ず一人クラスにいるじゃないですか。自分はそれですね。エロい絵を描くと周りが喜ぶので、それに快楽を覚えるタイプでした。
学校の中でもあの人は描ける人だと認識されていたはずです、エロでですが。

でもそれから軍隊みたいな高校に入って、グレちゃいました。私は勉強をまじめにやる方ではなかったので、意識的には絵を描く事なんて恥ずかしい事と思っていましたね。描かないけれども、文化祭になると気合入れて看板やTシャツを作っていたら、美術部に勝手に入れられてました。

お前は絵を描いていれば、バーターで教室では目をつぶるという状態ですね。当時は枕持って登校していましたから。
それでも絵を描いていれば一応OKだったのですが、他の美術部員とは部活の最中は話が合わなくて、デッサンの時には、皆これを面白いと感じているのかなとパン齧ったりしていました。笑
でも漫画を借りたりしていたので、仲が悪かったわけではないと思います。

当時険悪な関係の先生に美大に行けと言われていたのですが、絶対に言いなりにはならないって変な反骨精神で、行きませんでした。

当時は何だか学校が一種の宗教のようで気持ちが悪くて。高校という枠がもう本当にダメでした。

そして広島から東京に上京して、ネイルとメイクの専門学校に行っていましたが、ギャルばっかりのチャラチャラした学校でした。
上京前もマンバみたいなことやってたんですけど、渋谷でテッペン取らなきゃっていう気持ちになっちゃって。笑
ヒエラルキーのトップを取るにはマンバしかない!もうどんどん過剰にピークまで増殖して、そして私の世代で絶滅しましたね。

私自身がマンバをやったのが実質2年くらいなので、そんなに長くないです。

当時は大きいブームみたいのが2回あって、90年代のヤマンバ、私たちの2002年くらいからの第二次マンバがそれくらいですね。大きなブームが滅びる感じ、こうやって終焉を迎えていくんだという雰囲気みたいなものを肌で感じました。

V マンバ時代は絵を描いたりはしたのですか?

K しなかったです。絵を描いても役に立つことなんて何もないから、描けるなんて言うこともなかったし、プリクラの落書きぐらいですね。才能を発揮できるのは。笑
智美うまくね?みたいな笑 

V そこからどのような経緯で作品を制作・発表しようという形になったのですか?

K その後マンバから足を洗って、インテリアデザインの専門学校で空間デザインを学んだあと、生活の為にキャバクラ勤めをしていました。その中で、お客さんの顔を3割増しでかっこよく描いて、それで指名を取るっていう事をやっていたんです。それで気に入られた人に、君は絵が描けるんだから、自分の会社に来ないかって、引き抜きされました。
その人は社長だったのですが、愛人が5人くらいいて、ITやってるって。笑
今思ってみれば胡散臭すぎるし、会社はとんでもないブラックだったんですけどね。でもその時は、お水から上がれるなら何でもいいと思ってついていったんです。

V 会社で絵を描く形ですか?描くものは会社が発注してという形ではなく、好きなように描いていいというものなのですか?

K いや…発注じゃなくて、社長の好みの写実的なものをこちらが汲んで描く感じです。夜桜とか弥勒菩薩とか、いわゆるそういった人が好みそうなものですね。その描いた絵をどうするんですか?って聞いたら、世の中に出すまで溜めるんだと言われました。

会社に所属するという形になって、契約書を交わしたら、3畳くらいの倉庫に閉じ込められて、描かないといけないっていう状態になって、最初は全然ありがたいと思っていたんですけど、
ただアトリエと言っていたのも、倉庫なんですよね。何か段ボールが敷いてあって、あれ、聞いてた話と違うな…って。笑
その狭い3畳の中でずっと絵を描いて。描いた絵に対して、その社長が気に入れば、月にいくらか支給するという感じでそれが1か月の収入です。

最初は良かったのですが、だんだんそれも支給額が下がってきて最後は月に5万くらい。それも私が段々気に食わなくなってきたみたいで、少しでも自己表現のような絵を描くと、それを机に投げつけられて、「こんなんじゃねーから」ってひたすら怒鳴られる。

あ、これはと思った時にはもう遅くて、契約書には逃げたら罰金何千万とか、個人で売買したら罰金いくらとか書かれていたんですね。

V それは相当危ない契約書ですね。

K ヤバいですよね。でも自分で絵を売ることもできないし、私の絵が売れると勝手に夢見てた社長も、絵の売り方とか全然わからないから、どうする事もできなかった。最初は金になると思われたのかもしれませんが…。そんな環境での製作が半年続きました。

基本的には下働きで、朝は社員の皆が来る前に会社の掃除、その後は社長が飲食を経営していたのでそこに働きに行って、終わったら三畳の倉庫でずっと絵を描いてっていうローテーションをずーっとやっていたから、だんだん精神状態がおかしくなっていきました。

V すごい労働環境です。

K 毎日働いて怒られて、絵を描けば人格を否定をされるような言葉を言われ続けて、これは精神崩壊するなって。逃げれば良かったのに、当時は契約書で頭がいっぱいになっていて、法的に逃げられないと思っていたんでしょうね。
それがある日、突然その会社が倒産したのです。

20人くらいの社員が呆然と立ち尽くしていて、私は受付に飾られていた自分の夜桜の絵と残っていた絵を持って逃げました。そこから持ち帰ってきた絵を、どこかで発表しなくてはと思い、銀座のギャラリー巡りと勉強が始まりました。これが一番の人生の転換期です。

V 酷い話ですが、逆にこれが無かったら絵を描いて発表するという気持ちにはならなかったということですか?

K 身体的にも精神的にも極限状態の中で、こんなにコテンパンにやられたのも初めての経験だったから、逆に自我が目覚めたのも初めてでした。死にそうなときに側に絵があるから。

思ったことは、ある程度、他人からの押さえつけが無いと、蓋開けたときに弾けられない。相当抑え込まれて、一度そこで死んだ状態があって、初めて自分というものが見えてきた気がしました。
この経験は黒歴史ですが、刑務所のような美大に入ったと考えれば…笑
卒業して制約なく一人で描けること、生きれることが嬉しかったです。

V その後は精力的に、制作、発表を続けていらっしゃる。

K 最初はグループ展に参加して、それからアートフェアに参加したり、2011年に個展を開催しました。その時に、山下裕二先生に会って、『美術の窓』の連載で紹介して下さいました。巡り合わせと運がすごく良かったです。

V 作品一つ一つがテーマ性が高いのですが、近年の作品について教えていただけますか 「のこそうヒトプラネスト」

「のこそうヒトプラネスト」

近藤智美

近藤智美プロフィール

1985年 広島県生まれ
18歳で上京、渋谷でマンバギャル(ガングロと言われたヤマンバの第2世代)
を経験、ギャル文化の終焉を見届けたのち、絵を描き始める。
2011年 初個展 「フォアグラプール」(アートラボトーキョー)を開催。
2012年「VOCA展」(上野の森美術館・東京)出品。2013年「LOVE展」(森美術館・東京)。
他グループ展多数。ロックバンド頭脳警察のCDジャケットも手がける。
人間というモチーフを古典技法、様々な引用を用いて抑制したタッチで描く。

「萬婆羅漢図」部分 「萬婆羅漢図」部分

「巨匠をよろこばす 股を冷やす」 「巨匠をよろこばす 股を冷やす」

「夜女待機心電図」 「夜女待機心電図」

K これは2013年の作品で、voca展に出品した作品です。(「のこそうヒトプラネスト」)
今までで一番大きなサイズです。一枚の画面で混沌とした絵の場合、夢をそのまま描きました状態で終わってしまう側面があるのですが、これは俯瞰する自分もいて、入れ子の図式になっています。
絵を描くことで、私という人格を生んでいるのか、私という人格が絵を生んでいるのか、そういう入れ子状態から抜ける事が出来ない。
これはその仕組みが分かった気になっていた時の作品です。わかった~!って 笑
そういった意味でも、自分の中で記念碑的な作品です。
画面左側に、自分も含めて、生まれた哀しみを持っている人たちの集まりと、いつも街を歩いている時に、考えていることを。画面右側は、それを俯瞰する自分です。何が何でも見なければと異質な状態になっています。

CGで処理したような画面を目指して、なるべく筆跡は残さないようにしています。
というのは、新宿のキャバ嬢が今一番リアルに感じるような画面は、レタッチを繰り返したレイヤーのような画面だと思っています。プロフィール宣材は、シミもほくろも無くて、ほうれい線も全部無い。これ私じゃないけどって。笑

話は変わりますが、あの女の子達にとってのリアルは、人によっても違うのですが、どんどん整形して自分を変えて、他人から見たら、それヤバいでしょと思うようなラインでも、自分たちの中では正しいものなのだと思います。
そういう整形をテーマにした作品も製作しました。

「のこそうヒトプラネスト」部分 「のこそうヒトプラネスト」部分

V 2012年の「豊胸手術がしたいんだ」ですね。

K これはムンクの「思春期」と、豊胸手術、グラビアの切り抜き、どこからでもアクセスしやすい作品だと思います。美術の側面と、ギャルの側面を繋げつつ自虐ネタですね。笑

V 近藤さんの作品は、元作品がありそれを自らと繋げる作品も多いですね。

K 25歳まで美術館にもろくに行ったことが無い状態から、日本美術史を勉強し始めて、次はそのルーツ、そして西洋美術をという流れなのですが、今美術業界で何が起きているのかを早く仕入れたいっていう思いが強かったです。
私は上京した時には、まず何が東京で起きているのか、ディティールは後でもいいから、さっさと場をわかりたくて、マンバだったらどのポジションが一番早いかな…アル中のマンバは空のポジションだから、これでいこうみたいな。笑

だから早く現場を自分の目で見て、今はコンセプチュアルアートアート祭り・今は日本美術祭りという感じで、ちょっとまみれた時期もありました。色々なものを見て、自分で感じて、アートアートと言っている事に決着を着けたくて、今回の展覧会「媚び術研究」でいわゆる現代アートと呼ばれるものと違うやり方でお見せしたいと思いました。

「豊胸手術がしたいんだ」 「豊胸手術がしたいんだ」

V 写実的な作品もありつつ、漫画作品(「ねずみ人間2012)も残していますね。

K これに関しては、自分が漫画家になれなかったからですね。描けるなら漫画家を目指してました。高校生の時に、漫画を描くと怒られましたからね。

V 本当に厳しい学校と親御さんだったのですね。

K 堅物でしたよ。見つかっちゃいけないという気持ちは強かったけれど、私がまず32ページ描けないんですよ 笑
作品として残すにあたっては、自分の中で漫画と油彩とはかけ離れていないので、方法として、作品を残すのに適している技法として考えています。

V 作品からテーマをすごく汲み取りやすいですね。

K そう思ってもらえるよう心がけています。結局作品はコミュニケーションという事をずっと忘れないでやっていきたいです。人間の面白さに敵う事はないでしょうから。
私の考えていることなんて、この島国に生きている人は大体考えている事だろうなという事ばかりなので、わかりやすい事を的確に作品に残していきたいです。

V 近藤さんの根幹にあるテーマはどういったものですか。

K 自分史というものでしょうか。人はこんなにも変われるんだっていう実感が自分でありましたから。絵が私を引き上げてくれて、人格形成をここで全部為してしまった所もあるので、一枚一枚が今起きている現状と自分史を絵の中で繋げている感じです。ただ、胡坐をかいて幸せだなーと思えない資質がそこに混じり合っています。どうしても本質が暗いんでしょうね。笑
どうにも消化できないものや、どこに行っても浮いてしまう感じ、そういう屈折した目線が絵に表れているのかなと思います。
私は今も労働者という意識はありますが、いわゆる金持ちに受ける絵ではないでしょうね。笑
自分が特別にものを作ると思うような環境にいたことはないので、どれだけ労働している人達にノックできるかが重要だと思います。

漫画だったり、整形手術だったり、媚びという言葉も、それを引っ張り上げる二文字で、とにかく誰でも面白がれるようにしなくてはと。
作品を一枚描く前に鬱屈した思いがあって、その生活の中で何か違和感を感じている部分を描いている所があります。ただ、生まれてからずっと不況でしたし、いい思いをしたこともないですが、今起きてる現状を嘆いてもしょうがないので、そこはかとなく面白がりたい。
たぶん皆当たり前にこの感覚を知っていると思っています。

美術界は色々な側面もあるし、外から見てて、これは正しいのかどうなのかという事と、アートアートって言っているものに疑問を感じていたので、やはり違う形で、一般にアクセスできるような方法を探っていくと、こういうネタ重視になるという。笑

V 近藤さんのポートフォリオを見せていただいた時に、大きな志を感じました。
クリエイティブとは何だろうと常に真摯な眼差しで世界を見ながら、それを包括してパロディにできてしまう技術の高さと、向いている目線が一般の人たちに向けての面白さだったり、優しさだったりする所にとても心惹かれました。

K でも私を見てよ!というのをうまくできている人がうらやましい。
そういう風にうまく振舞えるなら、絵なんて描かないでやっている方がいい。

「ネズミ人間」 「ネズミ人間」

V 今回は「媚び術研究」、メインの作品を描こうと思ったきっかけを教えてください。

K 羅漢図という平等に人を驚かせるような絵を制作するには、理屈っぽいやり方ではダメだと思いました。私が今、日本美術に傾倒しているという事もありますが、当時は普通だったんだろうなという事と、古美術の常に人を驚かしてやろうというサービス精神が気持ちにフィットするんです。
元々持っている日本人的感覚を知っているというのが取り入れやすくて、がっつり五百羅漢図を使いたかった、でも私には狩野一信の描く羅漢の顔が、どうしても今まで見てきた下世話なオヤジの顔に見えてしまったんですよね笑

V 確かに!最初に制作したのが『萬婆羅漢図』ですね。

K 元々中国のものを日本人がこんな風に過剰にデコラティブに描き上げた羅漢図の、この独特の色彩感覚とマンバの過剰なファッションとメイクがぴったりハマったんです。
コンサバファッションでは合わないんです。笑

過剰なファッションが合うなら、キャバ嬢達にも合うだろうと、100幅の中から、一番合う55幅の場面を選び、オヤジ達に接待しているキャバ嬢達を組み込みました。羅漢様はキャッシュで一括払いをしていたり、キャバ嬢は託児所に子供を預けて働きに出ている。

私が歌舞伎町に住んでいるので、歌舞伎町の現状を入れ込んで、この街や、キャバクラのかりそめの空間のそこはかとなく寂しい空気感が出るよう、描きました。
手前の女の子は自分がモデルなんですが、待機中にお客さんに営業メールを送っていて、でもこれは自分の生存確認行為で、携帯の画面は心電図になっているんです。待機中に皆生存確認をしている、そんな(キャバ嬢の)もの悲しさみたいなものを表しました。

V 風景や建物や雲のけばけばしい描写が歌舞伎町の極楽感と通ずるものがありますね。建前上の極楽感ですが。こちらはすごく大きい作品ですよね。

K 2mくらいですね。媚ビ術~のタイトルを思いついた時、(メインにする作品は)これしかないなと思いました。

V 今回利休とデュシャンのハイブリット作品も出品されますが、立体作品も今まで多く作られていたんですか?

K 基本的に絵を使ったものでしたが、元々作るという作業が好きなので、テーマと合っていれば何でも作ります。今回の古美術だと物質感が必要だと思ったので、絵だけでなく立体も製作しました。
デュシャンの「泉」から2017年で100年ですし、他の国には絶対に負けない日本の誇れる便所文化を作品に残しました。
千利休はデュシャンより300年以上前からコンセプチュアルアートを完成させているのだという山下先生のお言葉、いただきました!笑 
そもそも利休が朝顔の花を全部摘み取らせて、一輪だけ飾ったという、人の存在を笑っている感覚が好きです。こういう風に面白がりたいですね。そもそも金持ちがわびさびってどーなのっていう。笑
絶望を笑えるようにしたいです。

V 近藤さんの作品は非常に真面目なんですけど、そこはかとなく皮肉さとユーモアが絶妙なバランスで入っているので、違和感がありません。今回の媚びというテーマについても教えてください。

K それこそ先ほど話したIT会社の社長に、媚びないから駄目だと言われた呪文は一生忘れないですよね。笑
俺に媚びれないから駄目なんだって、媚びろって命令されて、媚びる事を強要されるのってとても奇妙な構図なんです。冷静に考えてみたら、第三者が外から見てて媚びてるって思うものなのに、当事者が強要する。うまくやろうとして、それができないことにものすごく悶々として、結局できなかったです。未熟者でした。

V 媚びヒエラルキーの頂点にいる人は、媚びてるという意識がまるでないですからね。
普通は媚びるという事に、照れと嫌悪感を感じると思うんですよ。それを作品に昇華するのは面白いです。

K うまく媚びれなかった自分史の問題が、媚びと古美術というダジャレを思いついたときにもらったと思いました。明治工芸は実際に見ると、これ海外向けに作ってるだろうなと感じたところもありました。でも海外への媚びだけではあの超絶技巧は成り立たない。すごいものです。

それを見たときに、古美術に繋げていきたいなという道筋は結構できてきて、『萬婆羅漢図』はすでに描き上げていたんですけれど、これは海外に媚びる用の作品と言ってしまえば、もうパッケージができますよね。

作品を色々な人に見ていただいて、絵に正通している人から、「これは海外向け」とか、「これでまとめて作れば海外で受けるのに」と言われて、?と思うのですが、そういう事が言えてしまうこの国ならではの、大きな国に媚びる感覚は皆持っていて、それに嫌悪感を感じたりする事も共通認識で持っている。
信頼できるものづくりを観る人を信頼して目指します。笑
それは今後も変わらないと思います。

(2016年12月7日)

'17/1/23 (月)〜 2/4(土)近藤智美展 「媚び術研究」
展示室 A&B / 入場料500円 ※会期中無休
平日12時から19時 土日祝12時から17時

https://www.vanilla-gallery.com/archives/2017/20170123ab.html

「萬婆羅漢図」 「萬婆羅漢図」

「歌舞伎羅漢図」 「歌舞伎羅漢図」

「泉」 「泉」