受賞発表
大変たくさんの応募作から第1次審査を通過した33作品を、第2次審査で更に厳選なる審査をしました。
独自のクオリティかつユニークな作品が多く、審査は最後まで熱論が繰り広げられ次の各賞が確定しました。
都築響一賞/1名 | 宮田徹也賞/1名 | ヴァニラ賞/1名 |
伊藤乍春 | 野中健一 | 中田雛子 |
「君が心きんこうそくで死にますように」 | 「絵画/幸福」 | 「陰唇葬」 |
奨励賞 | ||
よでん圭子 | 中田柾志 | 川上勉 |
「おんなあそび」 | 「ブローニュの森・コンドーム」 | 「Macabre」 |
業界のトレンドに流されることなく、自分だけに見える世界を描き続けている画家には、なぜかシュールレアリスム・テイストのひとが多いようだ。冷墨さんの画面のそこここに散りばめられているモチーフは、その組み合わせによって幾通りもの物語世界が奥へ、奥へと広がっていくようで、ひと目見て魅了されてしまった。いろいろな入口があって、どこにも出口がないような・・。こんな絵の前に座って、ひとりゆっくりお酒が飲めたら。
ガムテープで補強された、薄っぺらい透明ビニールの上に、叩きつけられたように暴れる絵の具の層。こんなに暴力的な絵は久しぶりに見た。そしてその作者がまだ19歳の女性だと知って、さらに驚いた。ビニールという素材から、荒ぶる筆致、殴り書きされたタイトルにいたるまで、すべてのセンスが突き抜けている。だれのアドバイスも受けないようにして、このままブレずに進んでいったら、彼女はそうとうすごいアーティストになるはずだ。
私は批評(ギリシャ語のクリティーク【判断】)をする者なので、優劣を施す審査は基本的に避けてきた。ヴァニラ画廊の、これまで権威的な「美術」という概念を覆す作者による作品を黙々と支援し続けている姿勢に共感し、この度、委員を引き受けた。私がこの大賞に望むことは、現代「美術」というコンセプチュアルな傾向とは異なる、これが「美術」なのかといった探求と冒険にある。《絵画・幸福》はオブジェと平面を何故かキャンバスに「打ち付け」、平面と立体の相違を超克し、これまでに見たことがない形を生み出したことが私の心を打った。「美術」に拘ることは必要ない。自己のイメージと格闘するところに、創造の源が存在する。
私は作品に優劣をつけることはしない。それでも作品を評価することは在り得る。私が持つ基準とは、事象という自己の外の世界と対峙し、その事象が持つ本質を自己の内に取り入れ、再び事象として外の世界へ回帰させる点にある。外部との格闘を恐れ自己満足に陥る作品は、創造物として成立しない。《無限達の風雅》は極めて絵画的ではあるのだが、総ての要素に明確な動機が発生し、それぞれが絡み合い、画面全体を隙間なく構成している。そこに秘められている意味を解読する必要性がない点が、極めて絵画を裏切るのだ。凡てが反転された時に何がやってくるのか。そのような緊張感溢れる画面に、私は心が躍る。我々の「眼が未開の状態」であることを教えてくれた。
2013年には創立10周年を迎えるヴァニラ画廊ですが、この間にひたすら作家を掘り起こす作業をしてきたという自負があります。
評価が固定してしまった作品ではなく、未知の作家を積極的に発掘し紹介するということ、それこそがこの画廊の使命であると思うからです。
いかようにも描けますという作家ではなく、これしか描けないという作風こそ評価されるべきオリジンです。
今回の「ヴァニラ画廊大賞」応募作には、この点できわめて瞠目すべき作品が多く、熱のこもった審査になったことはうれしい限りです。
作家の個人サイトもなく公募展にも出品すらしたことのない多くの作品に巡り合えたことは、ギャラリストとしても大きな喜びです。
これから受賞された作家達に発表する機会を積極的に設けていくとともに、引き続き新しい作家の掘り起こしに鋭意努力していきたいと思います。
油彩で厚く描かれた作家自身の肖像。
わかりやすいモチーフで描かれているが、
エロティックでナルシスティックな作家の夜毎の一人遊びを、誇示する様なその視線の湿り気、暗さ、そして重さが印象的である。
少女が持つ独特の暗黒面を、深く深く突き詰めてもらいたい。
この作家の描く暗闇はいつか「わかりやすい」暗喩ではなくなるはずだとの期待を込めて、ヴァニラ画廊賞に選択した。