受賞発表
本年度も独自のクオリティかつユニークな作品が多く、審査は最後まで熱論が繰り広げられた第三回ヴァニラ画廊大賞。
多数の応募作から厳正なる第1次審査、第2次審査を勝ち抜いた10作品に次の賞が決定いたしました。


大賞/1名


横倉裕司」
「spot」
(50×50×50cm/蝋)
南嶌宏賞/1名 都築響一賞/1名
松本潤一 柴田高志
松本潤一 柴田高志
「紅梅の匂い」 「焼かれる顔」
(49×14×7cm/フェルモ粘土、モデリングペースト、
油彩、プラスチック)
(162×130cm/紙、墨、水彩)
宮田徹也賞/1名 ヴァニラ賞/1名
T.HAMA 田村幸久
T.HAMA 田村幸久
「Dolly」 「それは、あなたを狂わせていく」
(/アクリル) (60.6×60.6cm/アクリル、板、ジェッソ、ハイグロスバーニッシュ)
奨励賞
鶴川勝一 Natako 坂本二夜
鶴川勝一 Natako 坂本二夜
「考える人」 「世界の条理の瑕疵の娘1」 「にやのぜんなるこころ」
(112×162cm/綿アートクロス、シリアス染料) (42×59.4cm/写真、CG) (145×115cm/鉛筆、色鉛筆、
水彩色鉛筆、水彩絵の具、キャンバス)
Lajasthan 太田脩子
Lajasthan 太田脩子
「Subincision」 「錯乱」
(120×50cm/油彩) (35×20×20cm/発泡スチロール、ろう、
アクリルガッシュ、樹脂)

選評

【南嶌宏】

大賞 横倉裕司「spot」

あの17世紀に今日の解剖学が完成されていたことを示す蝋細工の、見事なまでに精巧な人体模型が立ち並ぶ自然史博物館、フィレンツェ、ラ・スペーコラに展示されていても、あるいは世界の珍品奇品が私たちの想像力を圧倒する、ロンドン、ピカデリーサーカスのリプリーズ・ビリーブ・イット・オア・ノットに展示されていても、そして世界の現代美術界を先導するニューヨーク、ガゴーシアン・ギャラリーに展示されていても、十分に存在を示す秀作。蝋が溶け出すように、揺らぐ猫の頭部というシニフィエの群舞のようにも見えてくる。審査員全員絶賛の大賞受賞作!

南嶌宏賞 松本潤一「紅梅の匂い」

ハンス・ベルメールよ、このまさかの中年エロホモ親父の人形を抱き締めてくださいな!「球体関節」とはあの美少女美少年人形のために生み出されたものではなかったのですね。関節のその屈折を所有者に委ね、自らの身体の自由のすべてを引き渡そうとしているのです、この人形は! しかも、その造作は幕末から明治大正へと見世物細工の華として知られたあの「生人形」を彷彿とさせる、職人芸の精巧さ。何より形容し難い偏差を示しながら崩れ落ちる地平に、ぬるっと湿りをもって露呈してくるようなその肉の質感は、視覚以上に触覚に帰する愉楽を浮上させてやみません!

【都築響一】

大賞 横倉裕司「spot」

甘さのカケラもない暗黒の世界観と、それを支える精緻な技術に圧倒された。まだ若い作家だそうだけれど、すでに完璧なヴィジョンを持っている。あらゆる時代感覚や美術業界のトレンドは、こうした作家にとって無意味だろう。たしかに恐ろしい作品だが、この作家はこれからどんな世界を見せてくれるのか、それを待つのがもっと恐ろしいし、目が離せない。

柴田高志「焼けた顔」

小さな写真ではまったく迫力が伝わらないかと思うが、縦160センチ、横130センチという大きな画面を、おもに墨による細密画のような線描が覆い尽くしている。意味を理解できないまま永遠に続いていくファンタジー・ノベルのように。1枚の絵でありながら、そこに込められた時間の重なりが、作家の脳内に展開する風景へと見るものを引きずり込む。これもまた恐ろしい作品だ。

【宮田徹也】

大賞 横倉裕司「spot」

ヴァニラ画廊大賞には、既存の美術の概念を超え、人間の存在の根底に届く作品が求められる。その為「これが美術作品か?」といった驚愕と感動が必要とされる。そうであるのならば、美術を構成する素材や大きさ、テクニックというものも排除される。必要なのは衝撃なのだ。
確かに横倉裕司の《spot》には衝撃があった。私には大きすぎたし上手すぎた。大きさは問わない、誰もが出来るのに誰もしない、やったことがない素材や方法を用い、挑戦の精神を携え、新たな発見を試行錯誤する作品を私は求めたのだった。
この作品が何処にも展示することが出来ない、猫の死体の本質を知っている、今後の展開に期待が出来るという他の審査委員の話を聞いて、なるほどその通りだと私の見解は変わった。美術にも剥製にも何処にも所属しない、生と死の中間の状態を留める横倉裕司の《spot》には未来がある。
私が毛嫌いする審査でも、ヴァニラ画廊の場合は作品から教えられる。これからも既存の概念を爆破する作品が集まることを期待する。

宮田徹也賞 T.HAMA「Dolly」

T.HAMAの《Dolly》は、一次審査で私が見逃していた作品だ。P・デルボー、R・マグリッドらシュルレアリストの作品、或いは金子国義、横尾忠則といった、澁澤龍彦好みの作品は、口を悪くすれば「古い」という印象を与えたからだ。
しかし実物を見て、眼が離せなくなった。ここに描かれているのは確かに四谷シモン風の「女」なのだが、私がこれまで実見したどの絵画にも当て嵌まらない不思議な「何か」があったからだ。それを「佇まい」や「雰囲気」という語彙で表すことも不可能ではないのだが、ちょっと違う。表面は唯の「女」でも、作品の背後に流れる「何か」が醸し出すものは存在感を超え、美術作品と異なる印象が渦巻いているのだ。
もう一点候補があったのだが、私はT.HAMAの《Dolly》に決めた。T.HAMAの《Dolly》の目の前に立つと、実物でも鏡でもない何かが見え、私を取り巻いていくのだ。繰り返すが、それは今まで私が見た美術作品には感じなかった体験であった。
一人の作家の数点の作品からその作家の全てを見抜く領域までに、私は達していない。無論、達したくもないのだが、審査の難しさを感じると共に、改めて日々の作品と触れ合う努力を怠らないようにしようと誓った。

【ヴァニラ画廊】

大賞 横倉裕司「spot」

第三回を迎えたヴァニラ画廊大賞ですが、今回も幅広い世代の新進気鋭のアーティストに多数応募いただきました。
今回も各作品が非常にエネルギーに満ち溢れ、選ぶ私も力が入りました。
ご応募いただいた皆様にはこの場をお借りして御礼申し上げます。

今回の大賞、横倉さんの「spot」は思わず目を背けたくなるような「奇怪な塊」を想起させる蝋の彫刻でした。しかし注視してみると、重なる猫の中に封じ込まれた得体のしれないエネルギーの密度を感じます。命が重なり溶けあい、融合し、生も死も一つの塊となり、そしてそこに見えてくる神秘性。蝋のぬめりとした質感とともに鬼気迫る圧倒的な存在感には鳥肌が立つようなショックをおぼえました。

美術を既成概念に当てはめることなく、表現の未知の領域に挑もうとする感性と、その表現力に満場一致で大賞に選びました。決して答えのない「アートとは何か」という命題にアプローチし続ける横倉さんに、更なる飛躍と発展を期待します。

ヴァニラ賞 田村幸久「それは、あなたを狂わせていく」

アクリルで描かれたその作品には、ドールや臓器や昆虫、食物などの決して新しくはないゴシックアイコンが並びますが、美が朽ち果て、崩れ落ちるその一瞬を、圧倒的な描写力で徹底的に写実的に造り上げ、そして上からまるでその時間を留めるように、執拗に塗り固められたこの作品に、作家のほの暗い妄念を感じました。

ステレオタイプ化しつつある耽美観念に寄り添いながらも、所々破壊し、自身の哲学を織り交ぜ、琥珀のような完成された世界を作り上げる田村さんの作品は、まるで重厚な怪奇小説を読んでいるようでした。

一つの完結した世界を描いた作家が、これから目指すのはどのような世界なのか。田村さんに今後の期待とともにヴァニラ賞を贈ります。