2011年より始まった公募・ヴァニラ大賞も年を追うごとに応募者が増え、本年度も意欲的な作品が多数集まりました。
審査員に南嶌宏氏(美術評論家)、都築響一氏(写真家)、宮田徹也氏(美術評論家)を迎え、白熱の議論の末、珠玉の作品が選出されました。
南嶌宏賞/1名 | 都築響一賞/1名 |
少年御殿 | 青木仁之 |
「「のみこめ、マチオくん。」」 | 「素人イップス」 |
(155×109cm、キャンバス・油絵具) | (90.9×72.7cm、油彩) |
宮田徹也賞/1名 | ヴァニラ賞/1名 |
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sensou | 咲衣みちけ |
「縄綯」 | 「命のイコン(陰)(陽)」 |
(80.3×100cm、油彩・テンペラ) |
奨励賞 | ||||
籠女サヨメ | 高誠二 | 村松美紀 | ||
「胎海」 | 「少女の頭部シリーズより」 | 「ゆっくりいっていい」 | ||
(153×109cm、クレパス・アクリル・スクラッチ等) | (51.5×72.8、リキテックス・イラストボード) | (116.7×91cm、カンバスに転写) | ||
池谷雅之 | 渡壁遥 | 群 | ||
「赤い月」 | 「光」 | 「We all get hurt by Love」 | ||
(180×80×76cm、(木彫・アクリル絵具等) | (72.7×72.7cm、ボールペン) | (楕円型28×23cm、CG・SAI・PS) |
新宿、少女、刺青、ドス、スマホ、頭のもげた人形・・・いかにもな素材が重なりあっていて、それで「外人ウケするトーキョー」とはレベルのちがうリアリティがにじみ出る。それを作者の育った環境に帰してしまえば話は簡単だけど、そうではなくてこれは自分を取り巻く、さまざまな記憶に対するリスペクトの集合なのだろう。とても完成された絵であるけれど、それでいてもっともっと先が見たくなる。
青木さんの作品は毎年拝見しているが、これはちょっと別格のおもしろさがあった。着想がまず素晴らしいし、それをマチスのような、ピカソのような、こんな画面に落としこむ技量も並々ならぬものがある。このまま物語が、こうしてどんどん続いていって、オトナの絵本のように展開したら、すごく読んでみたい。
本年度の応募は立体が少なく、平面が多くを占めた。その中で大賞を決定するのは至難の業であった。私はきりさきの作品は巧すぎる、綺麗すぎると感じていたのだが、この画面の中の、ある種の違和感に魅了されたのであった。どれ程の大きさを誇る作品であっても、まるでスマートフォンのモニターを眺めるように、儚く、小さい。かと思えば、遠目で作品を眺めると透視図遠近法の奥に果てしない世界が広がっているという、不可思議な作品だ。改めて作品のコンセプトを読むと、そこには「思い出と成長と違和感を書きました」という言葉があるではないか。人間の存在とは、常に予定調和ではない。そのような作品をこれからも生み出して欲しい。
絵を描くとはどの様なことであろうか。自分が好きなものを好きなように描く、自分が好きなものを他者に理解して欲しくて描く、自分が好きでなくとも他者に理解されることを目的に描く、自分が好きでなく、他者にも理解できないものを描く。このような系譜に仮に分類してみる。sensouの作品は、この何れにも当て嵌まらない気がする。目標は、動機は、対象は、技法はといった課題を考えているようで考えていない。しかし自作解説は見事であり、sensouが斜に構えず真直ぐに自らと向き合い、いま、ここで、自分に何ができて、何ができず、何をしようとしていて、何をしなければならないのかといった模索が画面から零れ落ちてくるのだ。この努力が美しい。
審査員を務めていただきました南嶌宏さんが2016年1月10日にご逝去されました。
昨年の暮れも差し迫ったころ、今年のヴァニラ画廊大賞の審査が行われ、第二回目のヴァニラ画廊の公募から審査員を引き受けて下さった先生は、真摯に一つ一つの作品を評して下さり、今年も大賞と各審査員の賞が決まったその矢先の出来事でした。
南嶌先生が選んだ個人賞は、少年御殿の『「のみこめ、マチオくん。」』という大判の油彩でした。
以下は、先生の書かれた著作からの一文ですが、この作品に付いての評に通ずる部分を感じ、以下に抜粋させていただきたいと思います。
愛の対象はつねに見えないものである。
そして、それを眼に見える関係として成立させる手立てを、私たちは芸術と呼んできた。しかし、見えないがゆえに、私たちは過ちを繰り返してきたとは言えないだろうか。(『豚と福音』より 七賢出版)
突然のご訃報に接し、ご生前のご厚情に深く感謝するとともに、先生のご功績を偲び、そして多くの志を持つものを、励まし勇気付けて下さった先生に、謹んで哀悼の意を表します。(ヴァニラ画廊)
新宿の路地裏の、既視感漂う風景にたたずむ刺青の少女。少女はこの街で生まれ、その生い立ちをキャンバスに刻んだ。
等身大の思い出と対峙する作家の、この原風景へのオマージュが、少女の無頼をいっそう際立たせている。
細密だが透明感のある描写で、独特なリアリティが二次元にヴァニタスな深みを与えたように思う。
また眼帯・刺青などのアイコンによる、二次元ドラマの存在感との対立など、この作家特有の視線が興味深い。
これからの可能性を多く感じさせる、新人作家であることには間違いない。大賞に相応しい力作である。
テンペラで描かれている陰ヴァージョンと陽ヴァージョンの対の作品だが、しかしそれは象徴的なイコンではない。
なぜこのテーマを「命のイコン」と名付けたのだろうか、作者の秘められた意図を知りたい不思議な雰囲気の作品である。
ヴァニラ画廊大賞に応募された多くの混沌とした作品のなか、逆に人目を惹きつける陽気で寓話的な不条理作品といえる。
道化師は装飾的な舞台装置の、絵画劇場の中にしか生息できないガルガンチュアとして描かれているのであろうか。
人類の愚行の儚さを、陽気な戯曲とするこの作家の目には何が見えているか、画力ある筆致にますます興味が湧くのである。