特別展示・入場料500円
3月18日(水)より4月30日(木)まで3部構成で展示いたします。4月1日(水)と4月16日(木)は展示入れ替えの為お休みします。
4月3日(金)三代目彫よしライブペインティング&サイン会17時〜19時
イベント時・入場料1,000円
(サインは画廊にて本を購入した方に限ります。)
場内での、模写や写真撮影は禁止いたします。
天誅の名の下に両断された首は、その一瞬を境に生首と異名され、衆目多く集まる日常の空間に槍で突き通され、竹竿にくくられ、橋や軒に下げられ、斬奸状と供に晒される。
未だ鮮血も乾ききらない生首、それを傍観する大衆もまた自己の深奥に棲みつく、執え所の無いざわついた闇の欲望にいつしか取り込まれ踊らされているのである。
人間とはどこまで不可解な生き物なのであろうか…。
三代目彫よし 〈刺青〉画集生首図聚より
幽霊とは「他界に安住できない霊が、生前のままの姿で特定の人前に出現する」と定義され、それは恨みだけでなく、執心・未練・心残りなどによっても現れるが、やはり幽霊というイメージは、怖い、気味悪い、突然出現する等ではないだろうか。また反面、それこそが幽霊の醸し出す最大の魅力でもあるのだが…。 江戸時代から現代まで、数多の幽霊噺が語られ演じられ続けてきた。たとえば、累の解脱。更屋敷のお菊。佐倉宗吾の霊。生首を持つ小幡小平次。滝壺に現れる柳川重信。肉は肉、骨は骨、揉んで揉んで揉み殺す宇都谷峠の按摩文弥。等々、生前は非力弱者であった被害者が、死後、恨みの限り相手を取り殺すまで祟り続ける執拗さは、生前における絶対的強者に対する権力構造の逆転劇である。 人間である以上、誰もが持ち得る嫉妬や道徳を外れた欲望の深さに対する警告の一つであろうと考えて、幽霊の存在を見つめるのは私だけではないはずである。
三代目彫よし 〈刺青〉画集 幽霊鬼斗卅六釁圖 パンフレットより